ハンディを乗り越えて

== 野原初美の46年 ==
子供の頃の初美

 昭和31年12月25日、埼玉県北足立郡上尾町(現上尾市)の野原家に一人の女の子が誕生しました。野原初美の誕生です。初美は小さい頃からとても元気で、男の子と一緒に野球やドッジボールをするのが大好きな、どこにでもいるおてんばな女の子に育ちました。ところが小学校5年生のある日のことでした。急に右足の付け根が痛み出したのです。

 「痛い!痛い!。お母さん、足が痛い!」
 『先天性股関節脱臼』それは初美が生まれた時から背負っていた障害だったのでした。その時から一切の運動を止められて、病院通いの日々が始まったのです。自然と一人で過ごす時間が増えていき、友達もだんだんと遠のいていってしまいました。

 「どうして私一人がこんな思いをしなくてはいけないの?この足さえ元気だったら・・・」初美は自分の足をとても憎みました。そしてどんどんと自分の「から」に閉じこもっていきました。初美の心は暗くゆがみ、わがままばかり言うようになりました。両親もまるで腫れ物に腫れ物に触るように接するようになってしまったのです。


入院、師匠との出会い

 高校2年生の夏休みに治療のため入院しました。しかしその入院が初美の人生を変える大変大きなきっかけとなったのです。隣の病室に怪我で入院していた見知らぬおじさまに言葉をかけられたのです。ところがその言葉はとてもひどい言葉でした。

 「びっこがどうした?お前は体だけじゃなく心が病気になっているぞ。体の障害は仕方ないけどお前は心の障害で醜くなっているんだ。自分のびっこを認めてしまえ、そうしたらきっと元気になって綺麗になるぞ」

 最初はとても怒りました、初美の心の中に土足で入り込んできたような言葉でした。でもこんなにずばりと本質を突いたことを言ってくれた人は初めてでした。

 「ねえ、本当?本当に治る?私、綺麗になれる?」
 「なれるとも。きっと元気になって綺麗になるぞ!」

 信じてみよう、この人の言うことを。賭けてみよう、言われたとおりやってみよう。障害があったっていいじゃないか、これが本当の私なんだ。初美は初めて自分で自分を受け入れることが出来ました。それからの初美はどんどん人前に出て、自分を世間にさらけ出すようにしたのです。するとどうでしょう、みるみるうちに元気になり、人柄も容貌も変って本当に綺麗になっていったのです。

 このおじさまが夏空あつし先生でした。夏空先生は司会業の傍ら手品を演じていました。初美は先生のただ一人の弟子となり、手品を教えていただくようになりました。高校を卒業すると地元の上尾市役所に就職しましたが、23歳のときに手品の初舞台を踏みました。それが今の初美のスタートになり、仕事をする傍ら手品でボランティア活動をするようになったのでした。それまで障害を気にして人前に出ることを極力避けていたのがウソのように、ライトを浴びるのが快感で病みつきになってしまいました。



ボランティア活動

 中学校3年生の家庭科の授業で老人ホームの慰問に行った時でした。初美の心に何か感じるものがあったのです。一人のおばあさんが「月に一回息子夫婦が来てくれるのが楽しみなんですよ」と話してくれました。何か子供ながらにジーンと来るものがあり、「大人なったら何かボランティアをしたいなあ、お年寄りの喜ぶことがしてみたいなあ!」と思いました。

 「そうだこの手品でボランティアをしていこう、そしてお年よりの方々に喜んでもらおう!」子どもの頃から病弱でいろんな人達の世話になったからボランティアでお返しをしたい、いろんな施設を訪問して手品を楽しんでもらいたい。だって健康な人はどこにだって自分で行けるでしょ、なかなか外出できない人や自分だけじゃ動けない人にこそ楽しんでもらいたい。初美は夏空先生についていろいろなボランティアに出ていったのでした。

 昭和61年9月夏空先生からこんな話がありました。「今度上尾にマジッククラブが出来るんだ、このクラブの趣旨は覚えた手品をボランティア活動に生かすということだ。野原さんは自分の弟子だけれどこのクラブに一人の会員として入会してクラブ員の模範となって欲しい」と言うのでした。初美は上尾マジッククラブに入会し、更に多くの手品を覚え、ボランティアに打ち込んでいったのです。

 ある日、市内の老人ホームに慰問に行くことになりました。会場に着き手品の準備をしていよいよ出番になり軽やかな音楽にのせて手品が始まりました。ふと気が付くと最前列のおばあさんがハンカチを目に当てているのです。初美の手品を見て涙を流してくれたのです。舞台が終わり片付けをしていると、そのおばあさんが来て「素晴らしい手品を見せてくれてありがとうね、また来てね」と話しかけてくれたのです。「手品をやっていて良かった。私の手品を見て心に暖かいものを感じてくれたらそれでいい」初美の心になお一層手品への想いが膨らんでいったのです。


結婚・出産、そして手術

 そんな初美も一人の女性として恋をして、めでたくゴールイン、そして男の子を授かりました。しかしそれが大変な日々の始まりとなったのです。治ったと思っていた股関節が痛み始め、とうとう歩けなくなってしまったのです。やっとの思いで出産し、また病院通いが始まりました。

 昭和62年5月ある方に紹介されて埼玉県入間郡毛呂山町の埼玉医科大学付属病院を訪ねました。担当医師の種子田斉(たねだ・ひとし)先生は診察を終えると「右足はすぐにでも手術をしたほうが良いですね。入院の予約をしますか?」とおっしゃるのです。「どうしよう、そんなに悪いの?治るの?」体が自然に震えました。その日はとりあえず帰宅して家族で話し合い、種子田先生を信じて手術を受けることにしました。12月に手術、それからリハビリ。3ヶ月の入院はもう二度と味わいたくない苦しみでしたが頑張りました。

 それから10年、平成8年にはとうとう左股関節も痛み始め、また手術をすることになりました。「もうこれで最後、左足を手術したら40年間引きずってきたこの足ともさよならできる」と思って入院しました。そのために家族に心配と迷惑をかけてしまうことは心苦しかったのですが、夫が「初美が出した結論に応援するよ。今度は前よりも多く病院に行くようにするから寂しい思いはさせないよ」と言ってくれた事が何よりも嬉しかったのです。種子田先生に巡り会えたことに感謝をしました。今でも定期的に通院していますが先生のお顔を拝見すると、不安がフーッと消えていくのです。

 退院して半年後、その病院のリハビリ病棟に手品の慰問に行きました。手品が出来るようになったら真っ先にこの病院に行きたいと思っていたのです。患者さん達にはとても喜んでいただき「本当にそんなに元気になるんですか?もう痛くないんですか?」と聞かれ、「元気になれますよ、頑張ってくださいね」と励まして来ました。数ヶ月後定期検診で病院へ行ったときにその時の患者さんにバッタリと会いました。「野原さんですよね、以前リハビリ病棟で手品を見せてくれましたよね、あれがとても励みになって元気になれましたよ」とおっしゃってくれたのです。「あー、良かった。あの時の手品が励みになり元気になってくれた人がいたんだ!」初美はとても胸が熱くなりました。


和妻への憧れと挑戦

 和妻。日本の手品のことを和妻と言います。優雅な所作、時代がかった口上、邦楽による伴奏、蝋燭(ろうそく)や雪洞(ぼんぼり)による照明、この、純日本的な手品に初美は大変興味を惹かれてどうしても演じてみたくなりました。

最初に手がけたのは「如意独楽(にょいごま)」でした。浪曲奇術で一世を風靡した布目貫一先生に指導していただき、平成3年に山梨県河口湖町で開かれた「第11回奇術を楽しむ集い全国大会」で優勝しました。

 次に挑戦したのは「胡蝶の舞」でした。これも布目先生に教わり、平成11年の「奇術を楽しむ集い全国大会」に出場しました。その時、松旭斎天暁・光子先生ご夫妻が客席からご覧になっており、終ってから光子先生に色々とアドバイスを頂きました。もう一度見ていただこうと思ってその年9月、上尾マジッククラブの発表会で演じることにしました。ところが発表会当日、天暁先生が一人だけでいらっしゃったのです。「一昨日家内が亡くなり昨日告別式を済ませて来た、でも約束だから今日は見に来たよ」とおっしゃるのです。愕然としました。一瞬何が起きているのか分かりませんでした。二ヶ月前お宅にお邪魔した時はあんなに元気でいらしたのに!どうして?。それにこんな大変な時に約束だからと言って見に来ていただけたの?。初美はその日、天国の光子先生に見ていただこうと涙を必死にこらえて演じました。

 その次に挑戦したのは「五宝せいろ」です。この奇術は藤山新太郎先生((社)日本奇術協会専務理事)が考案された奇術で、直接ご指導していただきました。何回かのレッスンが終ったころ、藤山先生が「今度のSAMジャパン世界マジックシンポジウムのコンテストに出てごらん」とおっしゃるのです。「えっ!そんなすごいところに出るの?」驚きましたが夏空先生のお薦めもあり、出場したところ『JCMA賞』に入賞してしまったのです。

 そして去年平成14年は、上尾マジッククラブの第15回記念発表会でとうとう「水芸」を演じることができました。子供の頃から憧れていた手品です。何年か前に、今は亡き松旭斎光子先生が「教えてあげましょうか」と言ってくださった水芸。その時はとても無理だと思っていたのですが、今度は松旭斉天暁先生((社)日本奇術協会名誉顧問)が指導して下さり、上尾マジッククラブの会員たちの協力もあってついに演じることが出来ました。


ハンディを乗り越えて

 初美が生きてきた46年、そのちょうど半分の23年が手品との歴史なのです。子供の頃あんなに憎んでいた自分の足に今は感謝をしています。もしこの障害を持った足がなかったらボランティアをしたいとは思わなかったでしょう。手品にも出会わなかったでしょう。今日と言う日は来なかったことでしょう。初美は自分のハンディを乗り越えたのです。

 手品と出会った事により大きな財産を得ました。人との出会い、心のふれあいです。手品の師匠夏空あつし先生に出会えたこと、多くの著名なプロマジシャンに出会えたこと、上尾マジッククラブの素晴らしい仲間たちと出会えたこと、そして今日この客席で初美を応援してくださっている皆様に出会えたこと、これは初美の大きな宝です。

 これからも初美は多くの人たちに喜んでもらえるよう、手品の技をさらに磨いていくことでしょう。どうか皆様の声援をよろしくお願いいたします。

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